Plenus 米食文化研究所

お弁当コラム

外食施設がない時代、長時間の外出や旅における食事は携帯食が一般的でした。
日本における携帯食は、持ち運びの出来る容器が工夫され、さまざまな調理方法の
おかずや食材の彩りに配慮した盛り付け、季節感も盛り込む工夫を凝らした日本
独自の食文化となり、今や海外ではBENTOという固有名詞になるまでになっています。

ここでは日本の弁当文化をさまざまな時代や場面、登場人物と共に切り取り、
紹介していきます。

駅弁物語 昔から「弁当は旅の友であり、必ず携帯するものでした。それは旅のカタチによっても変化します。明治の世を迎え、鉄道という新しい交通手段の登場は駅売り弁当、いわゆる駅弁の発展を促したのです。」 駅弁物語 昔から「弁当は旅の友であり、必ず携帯するものでした。それは旅のカタチによっても変化します。明治の世を迎え、鉄道という新しい交通手段の登場は駅売り弁当、いわゆる駅弁の発展を促したのです。」

鉄道旅行の楽しみといえば・・・駅弁!! その土地の名物や地元の食材を使った駅弁は旅の気分を一層盛り上げてくれます。 鉄道旅行の楽しみといえば・・・駅弁!! その土地の名物や地元の食材を使った駅弁は旅の気分を一層盛り上げてくれます。

昔は旅の途中で食べられていた駅弁が、今では商品そのものが注目を集めています。
全国各地で行われる駅弁フェアは今やたくさんの人を集める大人気のイベントです。

昔の汽車の旅は長時間乗りっぱなしでした。例えば、明治18年(1885) に開業した日本鉄道の上野〜宇都宮間が片道3時間30分もかかりましたが、現在の新幹線では50分もかかりません。鉄道の電化や高速化が進む以前は、各駅での停車時間も長かったため、列車の窓を開け、ホームで歩き回る売り子さんから駅弁を購入する光景が一般的でした。

駅弁の車内販売 (戦後の昭和期)
立売販売専用容器、道具 (昭和に入り、背広スタイルの販売員も登場した)

鉄道の発達とともに進化してきた駅弁は、日本の食文化そのものであり、旅に欠かせない要素でもあるのです。
ここではそんな駅弁の歴史を振り返ります。

駅弁のはじまり 駅弁の歴史はにぎりめしから始まった? 駅弁のはじまり 駅弁の歴史はにぎりめしから始まった?

日本初の駅弁登場は諸説ありますが、通説となっているのが明治18年(1885) の宇都宮駅が初めてと言われています。
日本鉄道(現JR東日本) の東北線宇都宮駅開業と同時に、宇都宮駅前で旅館を営んでいた白木屋が販売を始めたという記録が残っています。ごまをまぶしたにぎりめし2個とたくあんを竹皮に包んだもので、ひとつ5銭。
そばが1杯1銭の時代にしては贅沢品と言えます。

明治35年(1902) の駅弁販売光景。
最初の駅弁はおにぎり!! 最初の駅弁はおにぎり!!
初の駅弁が明治18年(1885) に宇都宮駅で誕生した。

日本の鉄道の歴史は、明治5年(1872) の新橋~横浜間の開業によって始まりました。当時は “食まかりならず”とのお触れが出され、列車内での飲食が禁じられていたようです。当時は人前で食事することは行儀が悪いとされ、批判される向きが強かったようです。また、この時代の新橋~横浜間の所要時間は1時間程度でしたから、食事の必要もなかったのでしょう。しかし、鉄道の区間が伸び、乗車時間が長くなるにつれ、列車内での食事を取る必要性も増していったようです。当時ある程度の距離を運行する列車では途中駅において用を足す客のため、停車時間を長く取っていました。そこに駅弁業者が商機を見つけたのです。売り子がホームで歩き回る姿が増え、駅弁の販売が広がっていったと言われています。

明治22年(1889) には東京~神戸の東海道本線が全通するなど鉄道網は全国に広がり、それに伴い駅弁の販売も広がっていったのです。

富陽軒上等御辨當掛け紙 昭和9年(1934)

駅弁の広がり 富国強兵と駅弁の関係 駅弁の広がり 富国強兵と駅弁の関係

当初は一部の駅のみで売られていた駅弁。大きく広がったのは当時の国際情勢の影響が強いようです。昭和20年(1945)の終戦まで駅弁業者の得意先は軍隊でした。国内の軍隊の駐屯地は交通の要衝に配置され、部隊が演習や出征等により鉄道で移動する際、列車内の将兵の弁当(軍弁)は大きな駅の駅弁業者が手配していました。例えば、交通の要衝だった宇都宮は戦前、旧陸軍第14師団などが置かれていたため、宇都宮駅をはじめ小山駅、黒磯駅、日光駅などに駅弁業者が集中していました。特に宇都宮駅では「白木屋」「松廼家」「富貴堂」と3軒も駅弁業者があり、県内のほか、群馬、茨城、長野から集まってくる将兵にも弁当を提供していたようです。

宮島名物の穴子飯。
しゃもじには、戦時色の濃い文字が入っている。

戦局が進むと食料・物資は軍事優先となり、食料事情が厳しくなっていきます。米不足による相場上昇や旅行の制限、食堂車の廃止など駅弁業者は大きな打撃を受けるようになっていくのです。

戦時下の掛紙には、戦意高揚の標語が並んだ。

駅弁史要約

明治
  • 1885 明治18宇都宮駅で駅弁発売開始(白木屋)
    横川駅で駅弁発売開始(荻野屋)現役最古参
  • 1889 明治22東華軒、東海道線で駅弁第1号販売
    姫路駅で幕の内風の駅弁販売開始(まねき食品)
    米原駅で駅弁販売開始(井筒屋)
    静岡駅で駅売りの茶、汽車土瓶第1号販売(三盛軒、現在の東海軒)
  • 1890 明治23大阪駅で駅弁販売開始(水了軒)、草津駅で駅弁販売開始(南洋軒)
  • 1891 明治24馬場駅(現在の膳所)で駅弁販売開始(萩の家)
  • 1897 明治30静岡駅で「鯛めし」の販売開始(東海軒)
  • 1899 明治32大船駅で「サンドウイッチ」販売開始(大船軒)
  • 1905 明治38生瀬駅で駅弁販売開始(淡路屋)
  • 1906 明治39京都駅で駅弁販売開始(萩の家)
  • 1909 明治42「鰻丼」販売開始(萩の家)
東海軒「鯛めし」の掛け紙
(昭和17年/1942)
大正
  • 1914 大正3磐越西線日出谷駅で「鳥めし」販売開始(朝陽館)
  • 1921 大正10鉄道省が駅売り茶の容器をガラス製に変更通達(翌年にとりやめ)
昭和
  • 1927 昭和2駅弁売り装束を半纏から背広に改訂
  • 1940 昭和15皇紀2600年記念レッテル発行(全国)
  • 1941 昭和16森駅「いかめし」販売開始(阿部商店)
  • 1944 昭和19五目弁当、鉄道パン販売開始
  • 1946 昭和21国鉄構内営業中央会発足
  • 1953 昭和28日本初の駅弁大会開催(大阪・高島屋)
  • 1954 昭和29「シウマイ弁当」販売開始(横浜・崎陽軒)
  • 1958 昭和33「峠の釜めし」販売開始(荻野屋)
  • 1968 昭和43「明治百年記念、汽車100年シリーズ」レッテル発行(松浦商店)
  • 1972 昭和47神戸駅などで「しゃぶしゃぶ弁松風」販売開始(淡路屋)
  • 1985 昭和60テレビ番組タイアップ駅弁・小淵沢駅「元気甲斐」販売開始(丸政)
  • 1987 昭和62東海道新幹線の各駅で「新幹線グルメ」販売開始
  • 1988 昭和63加熱式弁当「あっちっちすきやき弁当」販売開始(淡路屋)
    日本鉄道構内営業中央会「駅弁マーク」を商標登録
「いかめし」発売初代の掛け紙
(昭和16年頃/1941頃)
崎陽軒「シウマイ弁当」
祝SL運転記念版掛け紙
(昭和55年/1980)
松浦商店「明治百年記念
汽車100年シリーズお弁当」
(昭和43年/1968)
平成
  • 1993 平成5日本鉄道構内営業中央会、4月10日を「駅弁の日」に制定
  • 2016 平成28日本鉄道構内営業中央会創立70周年
令和
  • 2020 令和2駅弁誕生135周年

資料提供:一般社団法人日本鉄道構内営業中央会

駅弁豆知識1 駅弁豆知識1

駅弁、値段の変遷 駅弁、値段の変遷

この表は、全国の幕の内弁当(並)とすし弁当の値段です。(昭和45年頃調べ)

(当時の参考物価)

  • 明治20年(1887)そば1杯1銭
  • 大正9年(1920)そば1杯8〜10銭
  • 大正10年(1921)コーヒー1杯10銭
  • 昭和9年(1934)そば1杯10銭、コーヒー1杯15銭
  • 昭和24年(1949)そば1杯15円
  • 昭和25年(1950)コーヒー1杯30円
  • 昭和45年(1970)そば1杯100円、コーヒー1杯120円

資料提供:一般社団法人日本鉄道構内営業中央会

昭和の駅弁ブーム 昭和の駅弁ブーム

終戦により軍弁の歴史は終わりを告げ、戦後の苦難の時期を経て、駅弁は新たなステージを迎えます。

昭和30年代、日本は高度成長期に入り、国民の生活にもゆとりが出て空前の旅行ブームが訪れます。昭和31年(1956)に東海道本線が全線電化になり、昭和39年(1964)には東海道新幹線が開業したことも追い風となりました。駅弁もこの頃さらなる進化を遂げ、その土地ならではの食材を使った駅弁がたくさん登場し、全盛の時代を迎えるのです。

松浦商店「祝東海道新幹線こだま」(昭和39年 /1964)
「シウマイ弁当」崎陽軒 昭和29年(1954)発売/神奈川県横浜駅
(写真提供:株式会社崎陽軒)
「峠の釜めし」荻野屋 昭和33年(1958)発売/群馬県横川駅
(写真提供:株式会社荻野屋)
「チキン弁当」NRE 昭和39年(1964)発売/
東海道新幹線食堂車
(写真提供:株式会社日本レストランエンタプライズ)
「いかめし」昭和16年(1941)発売/北海道森駅
(写真提供:株式会社いかめし阿部商店)

そのような状況の中、東京や大阪などの大都市にある老舗百貨店で「駅弁大会」が開催されるようになりました。
令和2年(2020)で第55回を迎える東京新宿の百貨店での「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」はその最も有名なものでしょう。毎年1月に開催されるこのイベントでは、およそ2週間の開催期間中に出品される駅弁の数が300種類以上にものぼり、売上はなんと6億円以上!駅弁の一大イベントとしてすっかり定着しています。ご当地の駅弁を食べることでちょっとした旅気分を味わえたり、故郷を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
この非日常の雰囲気が味わえるのも駅弁大会の魅力かもしれません。

写真は「東京駅 駅弁屋 祭」での販売風景。駅弁の販売数は平均1日1万個以上日本最大級という。

駅弁豆知識2 駅弁豆知識2

4月10日は駅弁の日 4月10日は駅弁の日

平成5年(1993) に一般社団法人日本鉄道構内営業中央会により制定された駅弁の日。弁当の「弁」の文字が4と十の組み合わせに見えること、「当」が「十(とお)」に通じることからこの日が選ばれました。
今年、令和2年(2020) は駅弁誕生135周年となります。

「駅弁マーク」とは? 一般社団法人日本鉄道構内営業中央会が昭和63年(1988) に考案したマークです。駅弁のPRや販促、イメージアップなどのためにつくられました。マークデザインの外枠は、弁当容器の「経木」をイメージしています。枠の中の十字が弁当の仕切で和を象徴し、赤丸は「日の丸弁当」と「人々との交流の暖かさ」をイメージしています。 「駅弁マーク」とは? 一般社団法人日本鉄道構内営業中央会が昭和63年(1988) に考案したマークです。駅弁のPRや販促、イメージアップなどのためにつくられました。マークデザインの外枠は、弁当容器の「経木」をイメージしています。枠の中の十字が弁当の仕切で和を象徴し、赤丸は「日の丸弁当」と「人々との交流の暖かさ」をイメージしています。
駅弁三種の神器 駅弁三種の神器

明治22年(1889)、姫路駅で日本初の幕の内駅弁が発売されました。白飯に三種の神器とよばれる「魚料理」、「かまぼこ」、「卵焼き」のほかに、煮物や漬物などのおかずが入っている豪華な内容だったようです。江戸時代、歌舞伎などの芝居の幕の間に食べられたことから「幕の内弁当」と名付けられた弁当が駅弁にも受け継がれ、いろいろなおかずを楽しめる定番の弁当となっていったのです。

経木入り「元祖」幕の内弁当 
まねき食品株式会社(非売品)
(写真提供:まねき食品株式会社)

駅弁の未来 駅弁の未来

長い歴史を持つ駅弁業界だけにその事業主は地域でも有数の企業になっていることもあれば、近年は経営者の高齢化、後継者不足などで廃業する事例もあるなどさまざまです。またコンビニ弁当の普及などにより苦戦している駅弁業者も少なくないようです。

時代と共に変わっていった駅弁。近年は旬の食材や地元の名産品を使ったもの、温められるもの、容器にひと工夫あって保存したくなるもの、人気アニメとコラボ企画したものなどより多彩になってきています。また世界に向けては、海外出店(パリ、ミラノ、台湾など)や情報発信も積極的に行っています。駅弁はこれからも世の中のトレンドや新しい技術革新を取り入れ進化し続け、私たちを楽しませてくれるでしょう。

UWAYAMA_AKIRA / amanaimages PLUS

クレジットのない写真は、全て一般社団法人日本鉄道構内営業中央会提供。

監修協力

沼本忠次

昭和22年(1947)、静岡県生まれ。
国鉄、JR東日本勤務を経て、平成21年(2009) から日本鉄道構内営業中央会勤務。現在、事務局長を務める。
駅弁への造詣が深く、雑誌や新聞、ウェブメディアなどへの寄稿も多数。

【参考文献】

  • 『駅弁掛紙の旅』泉和夫(交通新聞社/2017)
  • 『知識ゼロからの駅弁入門』櫻井寛(幻冬舎/2014)
  • 『駅弁ラベル大図鑑』 羽島知之 (国書刊行会/2014)
  • 『駅弁掛け紙ものがたり』上杉剛嗣 (けやき出版/2009)
  • 『駅弁物語』瓜生忠夫(家の光協会/1979)
  • 『値段史年表 明治大正昭和』(週刊朝日編 /1988)

ページトップへ